時々、『所有権』というものに対して疑問が湧くときがある。
「自分に所有権があるんだから、これは自分のものだ」という言葉にも若干の違和感を持ってしまう。
何故か。
法律上の話としては脱線しているだろうし、あくまで私の感覚であり考えであることはご承知おきいただきたい。
所有権とは、その物を「所有する権利」であり、物体としてのその物を手に入れたわけではないのでは、という感覚が拭えないのだ。
そう。
手に入れたものは「権利」だけである。
「その物」とは言っていない。
「権利」=「物体としてのその物」ではないのだ。
あくまで「その物」に乗っかっている「権利」なのだ。
もうこの時点でなんか屁理屈捏ね始めたと思う方もいるだろう。
百歩譲って手に入れたのは「権利」だけだとしたら、では「その物」は誰のものになるんだ、という声も出てきそうだ。
再度言うが、あくまで私の考えと感覚である。
それは地球のものなのではないだろうか。
総て自然から生まれたもので生成し、形作られている。
そして形が無くなれば自然へとまた還っていくのだと思う。
だから、物に執着するのもおかしな話だと感じてしまうのだ。
執着しないというのは物を大事にしないという訳ではないので悪しからず。
宝物だと思っているものは大切に愛でたらいい。
もちろん私にもそういう物はたくさんある。
けれどいずれ私が居なくなったり興味がなくなったときには、還るべき場所に還っていくのだ。
では、人が権利のみではなく実際を手に入れられるものはなんだろう。
それは元々自分から生みだされたものではないだろうか。
例えば、感情や愛である。
確かに自分の中に存在し、自分の中に還っていくもの。
深く追求すればその感情も自分のものではないとも言えるが、今日はその話はしない。
だんだん胡散臭くなってきたので今日はこの辺で。
民法上では、所有権というものは消滅時効にかからないとして辻褄を合わせているのかもしれないなぁなど思ったり。
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