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親切とはなんだろうという話

最近、よく考えていることがある。

 

「親切」とはなんだろうか。

 

 

親切についていろいろと考えている中で、新約聖書のコリント人への第一の手紙13:4‐8の一節が目に留まった。

 

これも『降りてきた』というべきだろうか。

 

たまたまネットを見ていた時だった。

 

内容はというと、「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」というもの。

 

愛(親切心)を持って、誠実に、実直に、驕らず礼儀正しく。

 

多分、人として基本的なことなのだと理解した。

 

 

実を言うと、特に仕事上で、ここまでやってしまったら相手をバカにしているようで失礼に当たらないだろうか、とか、これくらいは分かるだろうと初めの頃は思っていた。

 

押し付けるのも嫌だったし、自分基準の目線で考えていたのだ。

 

しかし、事務所にご相談に来る方は本当に出来なくて困ってくる、分からないから来てくださっているのである。

 

その大前提に気付いたのは開業してしばらく経ってからだった。

 

なんと遅い。

 

 

今だからこそ、依頼を受けて業務をこなしていく中で、「これはこうしてあげよう」とか「もっとああすれば親切だったな。次からはこうしよう」と思って行動することが多い。

 

恐らく少しずつ分かってきたのかもしれない。

 

今は、これは別に必須ではないけれどあっても邪魔ではないよね、という一歩先の行動をとるように心がけているところだ。

 

なので、一番最初のお客様は大変だっただろうと深く反省している。

 

 

親切について、自分なりの解釈は、義務ではないけれど相手を想って敢えてやる、というところで落とし込んでいる。

 

何か見落としてること忘れていることはないか。

 

相手が望んでいるものは何か。

 

どうだったら「助かる~」になるのか。

 

 

そういえば先日ボスから、あなたおっちょこちょいだからね、と有難いお言葉をもらった。

 

この仕事を始めてから、結構焦りやすくそうなると周りが見えなくなる性格ということを自覚した。

 

気付いていない自分とよく向き合うことができたのだ。

 

それを受け入れたうえで、自分はこうだから、ここに気を付けようと常に頭に入れて行動している。

 

 

今でも、本当の意味の親切とは何なのか正確には分からない部分がある。

  

分かっていないと思う。

 

今自分がやっていることが本当に親切なのかも分からない。

 

それでもお客様の安心した笑顔を見ると、間違ってはいないのかもな、と感じる。

 

今後も、一歩先の親切を心がけて仕事にプライベートに向き合っていく所存だ。