動画制作において、私はただ作るのではなく「魅せる」動画を目指してきました。
エフェクト、テンポ、色彩。
それらを組み合わせて、見た人が「おっ」と思う一瞬を作り出すこと。
もともとツーリング動画を作るのがキッカケで始めた動画編集。
だからこそ、余計にただ「引き込む編集」に熱意を注いでいた気がします。
それがクリエイターとしての私の喜びだと思っていました。
しかし最近、あるクライアントとのやり取りを通じて、その考えを大きく見つめ直す機会がありました。
「映え」を求めた動画へのダメ出し
そのクライアントは一人の職人です。
新しい世代を取り入れたいという希望のもと、SNS用の作品紹介動画を依頼され、私は若い世代を意識したいわゆる「映え」を軸に仕上げました。
前回もいくつか頼まれ、私に任せてくれたので、今回も同様に勢いのある編集で仕上げ、確認をお願いすることに。
自分なりにいいじゃんと感じていたのですが、返ってきた言葉は違いました。
「作品をじっくり見せたいから、変にエフェクトを入れないでほしい」
正直、最初は少し戸惑いを感じました。
同時に「やってしまった…」とも。
しかし、その言葉の意味を深く考えるうちに、大切なことを見落としていたことに気づいたのです。
職人にとっての「魅せる」は、動かすことではない
今回の作品は、彼にとって長年培ってきた技術の結晶であり、自分の「軸」となる特別なものでした。
彼が求めていたのは「動画の面白さ」ではなく、「作品そのものの凄みが伝わること」だったのです。
同じ「魅せる」という言葉を使っていても、私とクライアントでは向いている方向が全く違っていました。
私の仕事は「翻訳」であるということ
この経験から、私の仕事はクリエイターである前に「翻訳家」なのだと改めて強く実感しました。
クライアントが持つビジョンやこだわりを、見た人に伝わる形へと変換すること。
それが私の役割です。
だとしたら、自分にとってのカッコよさは一度脇に置かなければなりません。
クライアントが伝えたいことを、最も純粋に真っ直ぐに伝えられる形を探す。
そのための技術や感性こそが、私の武器であるべきだと思い至りました。
ただのスライドショーへの恐れ、その正体
当初、私はエフェクトを削ることで「地味でしょぼい動画だと思われたくない」と怖れていました。
しかし、その恐れはクライアントのためではなく、自分のプライドのためだったのかもしれません。
彼が積み上げてきた作品には、余計な装飾はいりません。
作品自体が語るものを、静かに、丁寧に見せる。
そのシンプルさを「ただのスライドショー」だと感じていたのは、私自身の思い込みに過ぎなかったのです。
折り合いをつけながら、次のステップへ
「やりたいこと」と「求められること」のジレンマは、これからも時々直面することでしょう。
しかし、クライアントの想いを深く理解し、自分の技術を駆使して「伝わる形」を模索する過程こそが、この仕事の本当の面白さなのだと思います。
クリエイターとしての自分と、翻訳家としての自分。
その両方を持ちながら、これからもバランスをとって歩んでいきたい。
それが、今私が出した一つの答えです。
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