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いわき市の相続・実家処分。「一人で住むには大きすぎる」母と本音で話した家の相続のこと

昨日、実家で母とお茶を飲んでいた時のことです。

 

窓の外には、少しずつ春の気配をまとってきた庭の木々。

 

両親が立派に作り上げた裏庭の畑の作物もスクスクと育ち、丁寧に育てているお花を眺めながらゆっくりと流れる時間の中。

 

何気ない会話のあと、私は一言、母にこぼしました。

 

「2人ともいなくなったら、この家どうしたらいい?」

 

一瞬、母のスマホをいじる手が止まりました。

 

いわき中心部の土地に建つ、家族を長年見守ってきたこの家。

 

建物自体は震災で一度建て替えたことはあったけれども、母方の祖父母の時代から60年以上守り続けてきた土地。

 

新築の頃はどこもかしこもピカピカだったリビングや階段も、今では少し思い出のようなキズも増え、手入れの行き届いた仏間には静かな時間が流れています。

 

そう口にした私には、正直、答えは出ていました。

 

「一人で住むには、あまりに大きすぎる…。売るか貸すか…、自分が住むにはいらない」

 

「まあ、そんなのもう少し先の話か」と笑い飛ばすこともできたでしょう。

 

けれど、特定行政書士として、相続の最前線に立ち会っている私は、自分の言葉の裏にある小さなしこりを無視することができませんでした。

 

そして、 「ずっと賃貸でいるの?」と、少しだけ寂しそうな母の言葉もどこかに引っかかりました。

 

 

「遺す愛情」と「遺される側の戸惑い」のギャップ

 

親御さんにとって、苦労して建て、守ってきた家を子に遺すことは、人生の集大成とも言える最大の愛情表現です。

 

しかし、時代と共に家の価値の捉え方は変わりました。

 

私たちが直面するのは単なる不動産の引き継ぎではなく、もっと現実的で切実な問題です。

 

管理という果てしない作業。

 

広い庭の草むしり、建物の修繕、固定資産税の支払い。


「決断」という重圧。

 

売却するのか解体して更地にするのか、それとも誰かに貸すのか。

 

もし兄弟がいれば、その意見をまとめるだけで数年かかることも珍しくありません。


捨てられない思い出。

 

親の思いが詰まった場所を処分するという行為に、言いようのない罪悪感を抱いてしまう。

 

昨日母と話していて痛感したのは、相続の本質は「モノを引き継ぐこと」ではなく、「遺された側が、その後どう生きていくかの選択肢を整理しておくこと」なのだということです。

 

 

相続手続きにクリエイティブを取り入れる理由

 

私は行政書士として、遺言書や遺産分割協議書の作成をサポートしています。

 

それは、家族が揉めないための防波堤になります。

 

ただ、書類が完成したからといって家族の不安がすべて消えるわけではありません。

 

だからこそ、私は法務にクリエイティブを掛け合わせたいと考えています。

 

例えば、ただの登記簿謄本を見せるのではなく、家の現状と維持・処分にかかるコストをグラフやデザインで可視化してみたり、家族がこの家で過ごした歴史を、写真や動画でアーカイブ化した。

 

こうして感情と数字をセットで見える化することで、重苦しかった遺産の話は、家族全員で未来を描くライフデザインへと変わります。

 

「家をどうするか」という議論が、「これからどう楽しく生きるか」という前向きな対話になる。

 

それこそが私の目指す専門家としての姿です。

 

 

春、心の整理整頓から始めませんか

 

「一人で住むには大きすぎるけれど、ここがあったから今の私があるんだよねぇ」

 

私の正直な気持ちを伝えると母は少し寂しそうに、でもどこか憑き物が落ちたような穏やかな顔をしてくれました。

 

母も「そのとき考えればいいか」と、一言。

 

もし、あなたもこの春、ご実家で同じような会話をされたなら、その違和感や不安を蓋をせずに大切にしてください。

 

法的な手続きが必要になる一歩手前で、まずは家族の本当の気持ちを整理する。

 

いわきの街で、法律の正確さと、クリエイターとしての柔軟な発想を持って、私はあなたの「家」と「心」の整理を全力でサポートしたいと思っています。