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ふと、改めて思う

久しぶりの雑記。

 

 

肉体と時間という制限がある世界で生きている中で、誰かのために時間を使うというのはとても尊い。

 

それは直接的に会ったり、何かをしたというものだけでなく。

 

その人を想う時間や、たった一言のメールやLINE、どんなに短い電話でさえ、相手のためにその間の時間は、自分の命を削っているのと同じこと。

 

逆も然りで。

 

愛がなければできないことだと思う。

 

 

過去1度、死を目前にした経験があるから余計に思うのかもしれないけど、自分が生きていることも当たり前ではなく、相手が今存在してくれることも当たり前ではないと思っている。

 

当たり前じゃないことを当たり前のことのようにしてくれる人がいる。

 

故に私はどんな些細なことに対しても常に「ありがとう」と言ってしまう。

 

 

 

同じ世界、同じ国、同じ時代に生まれて、出逢ってくれてありがとう。

 

忙しい中、時間を作ってくれてありがとう。

 

楽しい気持ちにさせてくれてありがとう。

 

好きだなという気持ちを教えてくれてありがとう。

 

ちょっとした気遣い、かけてくれた言葉。

 

さりげない手助け、私の目を見て話してくれた、そんな小さな行動でさえありがとうしかないのだ。

 

何をしてくれた訳でなくて、存在そのものに感謝している人もいる。

 

相手が意識せずにやってくれたであろうことに対して「ありがとう」と伝えて、「なんで?」とか「なにが?」と言われることもたまにあるけど。

 

 

それらは全く「些細なこと」ではないし、相手の存在自体に愛を感じるから。

 

それはパートナーとの話だけでなく、お仕事での繋がりでもそう、友人との関係性でもそう、もちろん家族との関係性でもそう。

 

今、自分が生かされていることにも感謝しており、過去の経験があって尚も今生かされているというのなら、この身体や所有物は自分のためでなく他者のために使おうと思っている。

 

 

もちろん、私も感情を持った人間である以上、苦手な人はいる。

 

ただ、それも「苦手」で終わるのではなく、その人との出逢いにも何かしらの意味を作ろうと考えて全てを成長の糧にしようと努めている。

 

苦手すぎてどうしても意味を見いだせない時でも、自分はこういうのが苦手なのか、じゃあ何故それが苦手なのかと掘り下げ、自分自身を知るためのツールにすればいい。

 

でもそれは別に褒められるような立派な理由ではなく、起こる全てを何ひとつ無駄にしたくないという自分のエゴなだけだけれど。

 

 

一昨日、大切で大好きなパートナーと一緒にいて、改めてじんわりと腹の底から感じたこと。

 

誰かや何かに対し、純粋な感謝と愛を持てる自分がいれば、大丈夫。