昨日訪問した際にいとこおばからお祝いを頂いたので、今日改めてお礼の手紙を書きました。
Zoomやメール、メッセージアプリなど気軽にコミュニケーションが取れるようになった現代において筆を取る機会は、とても少なくなったように感じますね。ましてや親族に対してなら尚更。
私自身、スマホやタブレットでの文字入力やタイピングが得意な事もあり、メールやメッセージアプリの方が手っとり早く簡潔に考えや想いをまとめて伝えられるので好んで使っていますしね。
手軽と言えども、それ故に文章のニュアンスや言葉の言い換えなど極力受け取る側がどう捉えるかまで考え誤解なきよう、とてつもなく気は遣っていますが…。
電話は苦手なのでここでは論外です。
それでも、手紙を書くのも実は大好きだったりもします。
自筆で書く手紙と言うのは私にとってはとても楽しい行為であり、それと同時にとてつもないエネルギーを使うもの。
エネルギーを使うと言っても、体力的な意味ではなくメンタルな意味でです。
それは何故かと考えた時、無意識にも一文字ずつ、送る相手の顔や言動、癖や声など思い浮かべて、読んだときに笑顔になってくれたらいいな、ありがとう、と感謝やポジティブな自身のエネルギーを込めているからなのかもと気付きました。
いわば、文字が自分の分身のような感覚。文字に魂を込める感覚と言った方がしっくりくるかな。
私だけかもしれませんが、これってデジタルのやり取りではあまりない感覚。
メール等では、失礼のないようにという意識だけで事務的な気持ちが優先している気がしています。
例えば何か人に贈り物をするときも、たった一文でもいいのでメッセージカードを添えるようにしています。
ただただ、元気になってもらいたい、笑顔になってもらいたい。その気持ちで綴る文字。
多分これは、昔『メッセージのない贈り物はただの差し入れだ』という何かで見た言葉がずっと残っているからかもしれません。
逆にそれを利用して、本当にただの差し入れのつもりの時は何も添えなかったりします。
言葉で伝える事も勿論大切ですが、言葉では伝えきれない時に文章と言うのはとても大きな意味を持つ気がしています。
一文字一文字、してもらったこと、かけてもらった言葉、向けてくれた笑顔、その人の雰囲気やオーラを思い出して全てを噛み締めながら感謝を丁寧に込めていく時間。
書くことが自分自身を省みる時間であったり、それ自体が瞑想になってたり気分転換になってたりもするので、お手紙を書くことでまた相手に感謝することが増えていく。
今だからこそ私が大切にしたいアナログな気持ちの伝え方の一つです。
いとこおばに、心からの「ありがとう」が届いてくれるといいなぁという気持ちを込めて。
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